まえきんです!
今日は私が歩んできた過去について、大学院生時代のワンシーンに焦点をあてて振り
返ってお話してみようと思います。この物語は、大学院生活を通じて当時の心境や
決意を思い出しながら記録していくものです。自叙伝みたいになっていますが、
それでもよろしければお付き合いくださいm(_ _)m それでは、本編をどーぞ!!😊
本編
右も左も分からなかった大学院生活
大学で学業に勤しみ始めてから、学部時代を含めて6年。時は学部の3年次に遡る。
同期だったゼミ生たちが就職活動をしている中、当時の私はというと統計学への理解
と関心が徐々に深まっていて、卒業論文を通じて、未熟ながら研究の面白味も感じる
ようになっていた。学者の道は選ばずとも、大学院でさらに学問を体系的に学び、
何らかの形で研究成果を大学に還元したいという思いに背中を強く押され、同じ大学の
大学院の門を叩いた。その後、そうした決意を持って進学したのは良いものの、当時
私が在籍していた大学は当時まだまだ歴史が浅く、周りに進学した先輩も前例もなく、
その大学院ともなると名実ともに未知の世界だった。実際に入学して実感したことは、
学部時代の勉強量や講義内容と大学院におけるそれらとは比較にならなかったこと。
さらに大学院では、プレゼンテーションや討論が中心の講義形式が多いため、事前の
予習は不可欠で、特にゼミの進行においては、学生主体で行う発表が中心となるため、
報告資料の作成には相当の時間を費やしたと記憶している。しかし、このような学習
スタイルにより、自分が興味を持って取り組んだ専修分野には格段の理解を得た。
私にもやってきた就職活動
そうした新しい環境に対する不安と新鮮さが交錯する日々を過ごしていく中で、
私にも就職活動の時期がやってくる。当時は米国の住宅価格暴落をきっかけに表面化
したサブプライムローン問題に端を発した世界的な大不況が起きていて、企業の採用
活動にも深刻な影響を与える契機となっていた。運悪く、私の就職活動の時期にも
その影響は及んだ。当時は「なぜ、このタイミングなのだろうか」という気持ちが
絶えなかった。しかし前向きに考えれば、これは自分の器を量るチャンスでもある。
「今、この苦しい時に頑張ることができたのなら、これからも一生頑張ることができる
かもしれない。就職活動によって、いろいろなことが犠牲になっていく。でも、どうせ
犠牲にするのなら徹底的に犠牲にした方がいい。その犠牲も内定を得た瞬間に、良い
思い出に変わるはずだ」と自分に強く言い聞かせ、不退転の決意で就職活動に臨んだ。
IT職との出会い
今のSEとしての私があるのは、以下の記事で書いたエピソード内で学部時代に交わした
何気ない一言がきっかけだった。
↓↓
この出来事があった大学3年から2年後、私は大学院の修士1年となった。
私も就活生として、本格的に進路を選択する時期に差し掛かっていた。
・元々ものづくりに関心があったこと
・ITスキルを身に付けることで、人生を切りひらいていけると思った
・システムエンジニアってなんかカッコいい!
・IT分野で世の中に貢献したい
・文系出身でも、システムエンジニアとして活躍できることを証明したい
そんな志望動機を引っ提げて就職活動をしていた時に、今入社している会社と出会う。
当初は文系出身ということもあり、不安があった。しかし当時の採用担当者から、
「大前提として、入社してからも君自身の向上心や努力は必要だけど、文系出身で
エンジニアになっている人も多いから心配しなくてもいい。興味が湧いたら是非
選考試験に来て欲しい」と伝えられ、安心して選考に進んだことを覚えている。
システムエンジニアは「理系出身者にしかなれない職業」。
そんな固定概念を払拭してくれたことが受験(入社)の決め手となった。
そして努力の甲斐あって、その会社に内定がきまった。
元々私は要領のよい方ではなく、高校受験、そして大学受験については2度失敗し、
挫折と苦労の連続で、人よりもかなりの回り道をした。しかし同時に、そうした
「傷つき」は、自分を変えていく大きな契機であることも知った。だからこそ、
やっとの思いで手にした大学への入学から大学院の修了に至るまで、学業はもちろん、
部活動や恋愛、資格取得など、学生としてやれるだけのことは精一杯やってきた。
結果として、当時は「100年に一度の大不況」とも揶揄された悪条件の中で、これまで
の自分を認めてくれる会社と出会うことができたのは大変ありがたく、全てが報われた
と感じた。(実は、のちの新入社員時代もいろいろと苦悩を経験することになるの
ですが、その時のお話は、またいずれ😊)
大学院生活最後の試練:修士論文の執筆と論文審査
それからまもなく、修士論文の執筆を本格的に意識する時期となった。学部4年生の
夏休みに受験した大学院入試の際に、研究テーマの方向性をある程度定めていたつもり
ではあったが、正直研究に行き詰っていた。そんな時、当時の指導教授である恩師
から、その後の私の運命を変えるアドバイスを拝受する。
「共分散構造分析の理論を使って、修士論文を書いてみないか?」
共分散構造分析とは
「複数の構成概念間の関係を検討することができる統計的手法の1つである。
従来の多変量データ分析では固定的な数理モデルに形式を合わせなければ
ならなかったところ、共分散構造分析によって、データ固有のモデルを柔軟に
構成することができるようになった」(ウィキペディア様より引用)
共分散構造分析は次世代の多変量解析であるということ、そしてその内容の興味深さに
ひかれ、研究のテーマと方針が決定。実際に共分散構造分析の理論を勉強してみると、
慣れないもはや暗号みたいな数式の数々、そして何より理論の難易度の高さには驚愕!
しかも、恩師の粋な計らい(??)で2年次のゼミ発表の時は1年次の頃とは違い、
学部生も有志でゼミに参加する回もあった。ゼミ発表とは名ばかりで、要は私が学部生
に授業をするようなものだ。明らかに、これまでと勉強環境が異なっていた。生半可な
努力では、貴重な時間を割いて参加してくれる後輩たちに失礼だし、自分自身の修士
論文の完成はおろか、分析に必要な理論を勉強する段階で挫折しかねないと思い、
これまで以上に努力を重ねた。
(多分、、この時がこれまでの人生で一番勉強しました!!😅)
学部生を交えた勉強環境は、自身の大学院生活を劇的に変えた。自分の発表に対して
真剣に耳を傾けてくれる姿、真剣な眼差しで勉強している姿、そんな学部生の熱心さを
目の当たりにし、「自分も頑張ろう」と毎回のように勇気づけられていた。
だから、私にとっては、修士論文の執筆や研究は決して孤独なものではなかった。
学部生と大学院生、互いの立場は違っていたとしても、ゼミ活動を通じたその瞬間
から、同じ学問を勉強する同志であると常に思っていたから。周囲に支えられながら、
修士論文の執筆と審査を無事終えることが出来た時、最高の充実感に満ちていたことを
覚えている。
大学院生活で私が得たもの
論文を書き上げる過程で己と語らい、一本の論文を介在して他者と語らう。
これまでの人生で、ここまで自分や相手の思考と深く向き合った時期を持った
ことは大きな財産になった。そして成長した自分があるのも、尊敬する先生方、
同期の大学院生、後輩たちに囲まれた環境の中で、己の力を最大限に引き上げて
もらったからこそだと思っている。これを体験した私だからこそ自信を持って
言えること、それは「大学院は、自分の意識や努力次第で自身を大きく成長させる
ことができる環境である」ということだ。
当時、お世話になった方々にあらためて感謝
当事者の方々がこのブログの記事に目を通される可能性は、ほぼゼロだろう。
それでも、改めてここに感謝の意をしたためておこうと思う。恩師にはご多忙の中、
修士論文のテーマの設定や論文の添削など、種々ご指導いただいた。修士論文以外に
も、夏休みを利用してのゼミ活動は、苦しいながらも、私にとって大変思い出深いも
のとなった。そして学生生活の中で、大学に携わる職員の方々、同期の大学院生、ゼミ
や部活動の後輩たちにも大変お世話になった。以上の方々、そして当時の学生生活
を支えてくれた家族に対し、この場を借りて心から感謝の意を表したい。
(大学院における2年間の厳しい薫陶が、今も生かされています😊)
最後に
一個人の身の上話にここまで読み進めて頂き、本当にありがとうございます!
お疲れさまでした✨もちっとだけ続きますが、ここからは「ですます調」で
行きますので肩の力を抜いてください 笑😊
これまでの人生で何かにチャレンジするとき、私の場合は成功よりも失敗の方が
多かったです。その度にいろいろと辛かったし、それまでのプロセスはある意味で
無為に終わっています。でも無為があったからこそ、身につくこともありました。
挫折と苦労を繰り返して何かにチャレンジすることは生きる糧になるし、何より
自身の人生をもっと大きく育ててくれる。そういう意味では、失敗は無為ではない。
勉強、趣味、恋愛、何であれ一生懸命やれば、その経験は次に生きる。むしろ、
うだうだ悩んで何もできない時や行動に移せない時が一番の無為。これからも、
無為を恐れずにどんどん失敗しようと思っています。どんな場面であれ、ここぞと
いう大一番で成功できるように!
この記事を書きながら、当時を懐かしむと同時に、私は運の良い人間だと思いました。
今の私が私であり続けることができているのは、決して自分ひとりの力だけでは実現
できなかったということです。きれいごとでもなんでもなく、これまでに出会った
いろんな人たちの支えがあったから、今の自分がいる。じつは、そんなふうにまわりに
支えられていることが、本当に「運が良い」ってことだと思います。
これは宝くじが当たることなんかよりずっと運が良く、ずっとずっとありがたいことで
はないかと改めて感じます。今までに出会った大切な人たちへの感謝の気持ちを忘れず
に生きて行きたいと思います。これからもずっと!
今回は過去最長の記事となりましたが、(2022/2/13掲載時点の暫定😅)
最後まで読んで頂きありがとうございました!ではまた!